女性の視点から考える移住生活のメリット
木村 優美子さん(40歳)自然酵母 山のパン屋
米山 美穂さん(49歳)るんた ~あわ里山ごはん~
東 愛乃さん(37歳)Cafe & ガラス工房 海遊魚
子育てをしながら働く、3人のIターン移住者の女性に集まっていただき、移住のきっかけ、子育てに対する考え方、鋸南町のよいところなどについて、お話を伺いました。海外生活の経験がある方もふたりいらっしゃいます。みなさん個性的な経歴をお持ちです。
真っ暗な夜を体験して「本当の夜を知った」と語る米山さん。「娘には一度、東京に行かせたい」と考える木村さん。そして、「夕焼けがきれいだから出ておいで」と近所の方から声をかけられて、東京ではあまりない人のあたたかさに心を打たれた東さん。みなさんのお話から、鋸南町の生活が鮮やかに浮かび上がってくるようでした。
こだわりを仕事にしながら、育児にも積極的に取り組まれている3人。子育ての在り方を深く考えさせられました。
――みなさん2007~2009年に移住されて、鋸南町移住者の「同期」といった感じですね。まず現在のお仕事と子供のことを、お聞かせいただけますか。
木村 「自然酵母 山のパン屋」で製造と販売をしています。香取郡 神崎町の寺田本家という無農薬のお米で酒造りをしている酒蔵の酒粕と、無農薬無肥料の自家栽培のお米を発酵させ、その酵母を使ってパンを焼いています。群馬県産の低農薬の小麦粉も使っています。娘が2人。小学校6年生と1年生です。
米山 「るんた ~あわ里山ごはん~」で地元の旬の野菜で料理を作って提供しています。穀物や野菜などを中心とした、心身を整えるマクロビオティックのお料理教室もやっています。出産したときに身体の変化があって、髪の毛が全部抜けてしまったんです。それが食について考え始めるきっかけでした。中学校2年生の娘がいます。
東 「Cafe & ガラス工房 海遊魚」でガラスの工芸品を作りながら、カフェを営んでいます。移住前には、ギャラリーの賃貸料など運営費を稼ぐためにオリジン弁当でアルバイトをしていたら、店長になってしまった経験があります。海が好きです。海からモチベーションをもらっています。うちは息子がひとり。まだ4歳です。
――移住のきっかけは何だったんでしょう?
東 何だったのかな?
木村 子供のことを考えて、ということはありました。長女が幼稚園に通っていた頃、東京都江戸川区で日本料理店を営んでいたんです。主人は板前で、私は着物を着て女将として店に出ていました。ものすごく忙しかったですね。
米山 私も東京で働いていたときは忙しかったなあ。企業で働くのは自分には合ってない、ここは私の居場所じゃない感じで。
木村 私も子育てを考える余裕がなくて、マンションの部屋では「静かにしなさい」、外では「自転車が危ないよ」と厳しくなっちゃう。ところが、休暇を取って鴨川に旅行したとき、娘が田んぼの中で水を得た魚のように遊んでいるのを見て、やっぱり子供は田舎で育てなきゃ! って。
東 うんうん。
米山 私は東京で子供を育てる自信がなかったですね。
木村 あ、わかります。子供を育てるのに、東京の環境は厳しいかなって思うところがあります。
米山 自然農を勉強していたこともあって、子供は自然の多い田舎で、植物のすくすく育つ姿を見ながら成長するのがいいな、と考えました。東京で市民農園を借りていたのですが、自分の土地で野菜を育てたかったこともあります。でも、子供のことが大きいかな。
――移住は子育てが大きなきっかけだったということが分かりました。移住場所として、鋸南町以外の候補地もあったのではないでしょうか。
米山 山梨とか長野もいいかな、と考えていました。でも、南房総は海と山を楽しめるところがいいんです。夫は釣りが好きだったので、すぐ海に行ける場所に住みたい、と。だから、南房総を中心に移住先を探しました。
東 私は小学校、高等学校の臨海教室が館山市でした。それに館山市に別荘があるので、しょっちゅう南房総には来ていたんです。
木村 別荘があるの?
東 鋸南町に移住する前に、将来、私がガラス工芸や飲食をやることを考えて、父が購入した別荘なんです。ただ、場所が海に面した突端すぎて、ちょっと私には住めないなと感じていて。父にそう言ったら、「じゃあ老後はオレがここに住む」ということになりました。けれども、たまたまその後に私が鋸南町で今の家をみつけて、ここなら東京にも館山の別荘にも行ける、と。結局、館山市の別荘は使わずに、両親と一緒に暮らしているのですが。
――東京に近いというのはいいですよね。
木村 私の実家は江戸川区、夫の実家は三軒茶屋。どちらも東京です。やっぱり海と山の自然が楽しめる場所を移住先として探していて、千葉か伊豆が候補でした。でも、両親が孫に会いに行こうと思ったとき、伊豆に行くためには、自動車で一般道の長い距離を下っていかなきゃならないじゃないですか。
米山 時間がかかりそうよね。
木村 そうなの。会いたいときにすぐに会えないなあって。南房総は高速道路からのアクセスがよいので、じゃあ伊豆より南房総だねということになりました。
米山 おじいちゃんやおばあちゃんは孫には会いたいものね。会いたいときに会える距離は便利。
東 うちは鋸南町で両親と暮らしていますが、父は海岸の散歩と孫が生きがいですね。
木村 いまは娘が大きくなったので、子供たちだけで高速バスに乗って、東京駅でおばあちゃんたちに迎えに来てもらっています。金曜日で東京に行き、日曜日の夕方に戻ってくる日程です。
――移住前は東京で生活されていらっしゃったと思いますが、鋸南町と東京は、まったく違うのでは。
米山 そりゃ違いますよ(笑)
木村 違う、違う(笑)
東 東京で遊ぶ子供たちって、かわいそうだなって感じます。せっかく公園があるのにボールは使っちゃダメなど、禁止事項がぶわーって書いてあったりして、じゃあ何をして遊べばいいの? という感じ。おじいちゃん、おばあちゃんはゲートボールしてるのに。
米山 でも、基本的に遊びに関していえば、鋸南町の子供も東京と変わらないですね。みんなゲームで遊んでいますし。ただ、周りの環境が全然違います。すぐそばに田んぼがあって、山があって、自由に遊ぶことができますから。
木村 うんうん。
米山 東京は、いろんな刺激が強すぎる気がします。常に音が鳴っていたり、夜でも明るかったり。商品がたくさんあって、目がチカチカするとか。ある程度の年齢になれば楽しいし、エキサイティングです。でも、でも、小さな子どもにはよくないと感じます。
東 そうですよね。
米山 小さな頃は、自分の感性を育てる時期。刺激が大きすぎると、感性が閉じてしまう気がするんです。子供は自然の中で風の匂い、花の香り、虫の声を感じながら育ってほしいと思っています。
――子供たちが成長して、東京に出ていきたいと言ったらどうしますか?
木村 たぶん行かせるんじゃないかな。東京から離れて暮らしているので、やっぱり一度は憧れると思うんですよ。大人になって東京と地元を両方体験して、住む場所は自分で選べばいいと考えています。特に小学校6年生の長女が東京に行くんじゃないか、と(笑)
米山 もう行きたいって言ってるもんね。
木村 「高校を卒業したら、私は東京へ行くんだ~」みたいなことを言っているので。でも、年頃になったら、そういう刺激的な都会に魅力を感じるのは分かるんです。私もそうだったし。ね、やっぱり年頃になったらぁ、六本木とかぁ、行きたいじゃない?(笑)
全員 (笑)
木村 東京のど真ん中にたった一人で行かせるのは怖いと感じますが、両親や妹の家族も暮らしているので、安心して行かせることができそうです。
東 うーん、うちの4歳の息子は、大きくなったらどこへ行くのかなあ。海外に行っちゃうんじゃないかなあ。
米山 うちの中学生の娘は、東京に全然関心がないんです。たまに連れて行っても「こんなうるさいところに絶対に住みたくない」って言って。山が一番いいらしく(笑)
木村 確かに山はいいですよね。
米山 鋸南町に帰ってくると「ほっとする」らしいんです。でも、親としては、一度、鋸南町以外の場所に出ていくことで、この町の良さが分かると考えているんですよ。ずっと鋸南町にいると、ここだけの価値観や暮らし方だけしか知らないじゃないですか。だから「絶対に外には出た方がいいよ」って話をしています。
木村 それは分かります。
米山 私もバックパッカーで世界中を旅していて、日本に帰ってくると日本のよさが分かったんです。そういう体験があったから、いまここに住むことができた、という気がします。
東 海と山があること。そして繁華街がないことかな?
米山 田舎って、いまどこも同じ風景になりつつありますよね。国道沿いは、ファミリーレストランとチェーンのショッピングセンターがあって、どこに行っても同じ。でも、鋸南町にはそれがないんです。
木村 チェーン店がない、それがいい(笑)
東 普通の人は不安になっちゃうんですけど(笑)
木村 そういえばファミレスないですよね。
米山 お店がなくても不便には感じていません。
東 ネットであらゆる品物が買えちゃうし。それにモノづくりが好きな人がここに多いんです。東京に行っても、買うんじゃなくて、「ああ、こうやって作れるんだ」って。帰ったら作っちゃう(笑)
米山 作る作る(笑)
東 とにかく東京に行くと疲れちゃって。気が付いたら、お金をたくさん使っていたり。
木村 夜は暗くて静かじゃないとダメですね。東京の実家に帰ると眠れないんです。常に自動車など何かの音がしているので。
米山 東京から帰るとき、アクアラインでブレードランナーみたいな海ほたるのキラキラしたところを通過すると、真っ暗になるんです。すると「ああ、帰って来てよかった!」と感じます。
東 あ、分かる(笑)
米山 はじめて鋸南町に来て電気を消したとき、ほんっとに真っ暗でびっくりしました。本物の闇を初めて経験した感じ。自動車から降りて、2メートルぐらい歩くだけでも何も見えないんです。これが本当の夜なんだな、夜はやっぱり暗くなくっちゃって。
東 地元の人もやさしい。近所の方が「いま夕日がきれいだから出ておいで」って教えてくれます。一緒に走って見に行くんです。東京では、こういうことはまずないなあと感じます。
米山 田舎暮らしの不安要素はたくさんあります。でも、考えていたら踏み出せないですね。
東 きっと動けなくなっちゃう。
木村 趣味で焼いていただけのパンが、仕事になるかどうかなんて分かりませんでした。自分のライフスタイルをこっちに持ってきたいと考えていて、仕事は後から付いてくるんじゃないかって。
米山 私も。マクロビオティックはアトピーの人にニーズはあるかなと考えていましたが、田舎で仕事になるかどうかは未知数でした。
木村 そもそも移住前は草刈機の存在さえ知らなかったですね。こっちに来て初めて、草刈機に出会ったし。
米山 東京にはないもんね(笑)
――え、みなさん草刈りやられるんですか?
全員 やりますよっ!(笑)
米山 大好きってわけじゃないですけど。夏なんて、ほとんど草刈りしかしてないというか。しないと家がジャングルになるので。
――鋸南町に移住すると、たくさんの「仕事」があるようです。本日は、ありがとうございました。
[取材場所]
Cafe & ガラス工房 海遊魚
千葉県安房郡鋸南町大六1082
http://cafe-kaiyuugyo.jp/
木村 優美子(きむら ゆみこ)
昭和51(1976)年2月生まれ。
東京都出身。幼少時代は、父の海外赴任からイタリアで過ごす。中学校時代に日本に戻り、千葉県船橋市へ。その後、20歳から東京都江戸川区で生活。2009年に鋸南町に移住。
米山 美穂(よねやま みほ)
昭和41(1966)年11月生まれ。
神奈川県出身。鎌倉市で育ち、社会人になって東京都へ。2007年に鋸南町に移住。
東 愛乃(あずま あいの)
昭和53(1978)年4月生まれ。
東京都出身。父親の海外赴任から3~7歳はブラジルで生活、その後、東京都渋谷区へ。大学時代は岡山県倉敷市でガラス工芸を学ぶ。2008年に鋸南町に移住。
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