鋸南町雇用創造協議会 こよう!鋸南

UIJターンの実際

注目企業

注目企業インタビュー

民宿を年間2万6,000人が訪れる旅館に拡大

協調性と「陽」のパワーを持つ人材を求む

蛭田 憲市さん(49歳)

旅館 株式会社 紀伊乃国屋 代表取締役

和食料理店・民宿

東京の表参道にある料理屋で働いた後、鋸南町で祖父の代から営んでいた民宿を継ぐためにUターン。2室だけだった民宿を「紀伊乃国屋」「紀伊乃国屋別邸」「お宿ひるた」「ゆうみ」の年間2万6,000人が訪れる4軒の旅館に育て上げた蛭田さん。

都会暮らしで再発見した鋸南町の良さを活かしながら、経営者として旅館ビジネスをプロデュースしています。しかし、成長の背景には、休日を返上して働いた努力と、伊豆などの観光地を視察して旅館の在り方を徹底的に研究した探求心がありました。

国内に関わらず、外国人の雇用にも取り組んでいます。鋸南町のビジネス、求めている人材像について蛭田さんにお聞きしました。

東京で料理人修行、祖父からの民宿を継ぐためにUターン

鋸南町の実家では祖父の代から造船業を営みながら、夏は観光客に民宿として部屋を貸していました。2室だけですが、夏場はにぎわいましたね。夏目漱石が避暑に訪れた歴史もあり、鋸南町は南房総の中でも避暑地の名所ですから。昭和30年代は海水浴ブームで、たくさんの観光客が訪れました。

10代の頃には、とにかく東京に憧れていました。18歳で上京、表参道の料理屋で板前の職に就きました。板前といっても修業の身。ただの小僧ですよ。休日もなかったな。とにかく忙しかった。休みをもらえると最初の頃は外出しましたが、その後、休日は部屋でただ寝ているだけという生活でした。

東京の料理屋でびっくりしたのは、地元ではどっさり盛り付けられている刺身が、2切れや3点盛りなどわずかしかない。しかも、私が当時もらっていた給料4万円ぐらいの値段ですよ。鮮度も地元と全然違います。なんだ、これは?!と。

3年後ぐらいかな。実家の両親から、人手が足りないので鋸南町に戻らないかという相談を受けました。東京の生活は、もう十分かなと思っていたのでUターンを決めました。そのときは、まさか自分が旅館の経営者になるとは思ってもいませんでしたね。

起業家精神で旅館ビジネスに奮起、がむしゃらに働く

地元に戻ってから3年間は、気ままに暮らしていました。繁忙期は夏だけなので、冬はハワイにサーフィンに出かけたり、オートバイでツーリングを楽しんだり。15歳の頃から波乗りが好きだったので、楽しかったですね。

しかし、3年目に気持ちを切り替えました。まず不動産の勉強をはじめて資格を取得し、不動産事業に携わりました。ただ、不動産の売買は一生のもので、購入者の人生に関わります。これは性格に合わないな、と。そこで不動産ではなく、民宿をビジネスとして拡大する仕事に注力するように人生の舵を取りました。

まず手掛けたことは、お宿ひるたで「子供を泊めない」と決めて、1泊6,000円だった宿泊料を1万6,000円に上げたことです。当時では子供を宿泊させない大人向けの民宿は珍しかったので、雑誌で取り上げられました。

魚にもこだわりました。漁港がある鋸南町では新鮮な魚が豊富です。エビは、ぴくぴく動いている状態でお客様にお出しすると、喜ばれるじゃないですか。東京の料理屋で修行して、あらためて地元の良さが分かりました。漁港から近くて、海産物が豊かな鋸南町だからこそできることです。

民宿から旅館に成長させるとき、経営で注力したのは徹底的に人件費を削ること。料理の板前を雇うと、数十万の給料を支払わなければなりません。じゃあ、自分で板前をやろう、接客もこなそう、施設をどうすべきか判断も全部やってしまおうと考えました。

旅行雑誌で調べて、人気のある同業の民宿や旅館を視察にも行きました。サービスを勉強して、旅館経営に取り入れるためです。熱海や西伊豆にも行きましたが「勉強に来ました!」というと、親身になっていろいろ教えてくれたのがうれしかったですね。不要になったハンガーがあると聞くと、トラックでもらいに行ったりして。

屋上に露天風呂があるのですが、魚を入れる強化プラスチックのケースを切断して、加工して作ったものです。設備投資もなるべく手作りで、お金をかけずによいものを作るように工夫しました。

本気で旅館ビジネスに力を注ぐ決意をした4カ月ほどは、1日も休みなしで働きました。あれから現在まで、サーフィンは1度もやっていません。

求める人材の資質の第一は「協調性」

現在、従業員は30人ほどいますが、新卒で8人採用しました。東京農業大学の学生もいます。アルバイトは、千葉からの応募者が多いですね。

これから積極的に雇用を考えているのですが、採用したい人材の条件は3つあります。

第1に「協調性があること」。客室や厨房など、さまざまな人が旅館では働いています。だから、どんなスタッフともうまくやっていける協調性が大切。もちろん地元の人たちと良好な関係を築くことも必要です。

第2に「当たり前のことをきちんとできる人」。部屋で料理を出すことが多いので、1人で料理を運んでお客様とコミュニケーションしなければならない場合があります。こんなとき、挨拶したり笑顔で接したり、当たり前のことをできる人が条件です。

第3に「陽のパワーを持っている人」。正直なところ、旅館の業務は辛いこともたくさんあります。けれども、笑顔を絶やさずにいてほしい。自分からアクティブに仕事のやり方を模索できない人は不要です。ポジティブ志向の人と仕事をしたいと考えています。採用は地元や東京の人に限りません。中国やアジア諸国の方もウェルカムです。

ビジネスの原石はここにあります。2~3年死ぬ気で働く覚悟があるのなら、旅館を核とした新しいビジネスの創造も若い人に任せてみたいですね。

蛭田 憲市(ひるた けんいち)
昭和42(1967)年2月生まれ。

家族は妻と犬と猫。東京都新宿区生まれの鋸南育ち。兄弟は姉がふたりの長男。「すべてのお客様を自分の大切な人と思い、心のこもったおもてなしで、やすらぎと感動を提供する」を使命に、鋸南町でしか味わえないサービスの提供に努めている。

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